堂々巡り
2009年7月1日日記にもどこにも記さなくなった諸々(かつてはネットでも友達にでもどこにでもところ構わずぶちまけてた諸々)は今自分の中でどうやって処理されてるのか自分でもわからない。人に言いたい感情が喉まで出かかってるのに、なんとなく出力失敗して、そのまま。
こういうのを客観的にみると、悪い意味で、大人になったのかなぁって思う。いろいろが見えてくると、理想と現実の見境がついてきて(というと聞こえがいいのだが実際はまるでいいことはない)ついに諦める。生きるうえで無駄な行為を削ぎ落としたような感じといえばそんな感じもして、楽といえば楽なんだけど、やっぱり淋しい。
こんなこと書いてどーすんの!みたいなのもまた今あって、うーん。それに自分の言っていることがやっぱ全然未熟なものだということも感じてて、でもきちんとしたことを言える日なんて気が遠くなるほど、ずっと後のことなんだろう。でもずっと後の私はまたきっと「昔はある程度大人になればそれなりのことが言えると思ってたけど、実際は何も変わらないなぁ」なんて思ってるんだろうなぁ。
っていう一連の流れは結局、全体的にただの取り越し苦労ってここまで書いて気付けた。
おやすみなさい。
こういうのを客観的にみると、悪い意味で、大人になったのかなぁって思う。いろいろが見えてくると、理想と現実の見境がついてきて(というと聞こえがいいのだが実際はまるでいいことはない)ついに諦める。生きるうえで無駄な行為を削ぎ落としたような感じといえばそんな感じもして、楽といえば楽なんだけど、やっぱり淋しい。
こんなこと書いてどーすんの!みたいなのもまた今あって、うーん。それに自分の言っていることがやっぱ全然未熟なものだということも感じてて、でもきちんとしたことを言える日なんて気が遠くなるほど、ずっと後のことなんだろう。でもずっと後の私はまたきっと「昔はある程度大人になればそれなりのことが言えると思ってたけど、実際は何も変わらないなぁ」なんて思ってるんだろうなぁ。
っていう一連の流れは結局、全体的にただの取り越し苦労ってここまで書いて気付けた。
おやすみなさい。
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