The Act of Seeing with One’s Own Eyes(1971)

という実験映画を観ました。
衝撃でした。
内容はというと、無声でほぼ30分間ずっと死体解剖の様子が流れるというもの。

頭を切り開いて脳を摘出したり、ろっ骨切断して内臓の摘出等々、
ぼかすことなく全部鮮明に映し出してあります。

かつて学校の教科書に描いてあった人体図のとおりといえば・・・そうでした。あの場所にあの形のものがあってあそこにはああいう臓器があるとかそういったこと。

しかし、問題はそういう話ではなく。

体が切られてパカッとあいている姿はまるで牛やマグロが解体されているかのようで、摘出後の空洞なんてのは観てる側をものすごく複雑な気持ちにさせます。人間も死んだらただの肉なのかと。

(観てる側っていっても、両方「人間」なのだけど。)

いちど見始めたらもう、目をそらしてはならないような気がして、じーっと、流れる映像を目に焼き付けました。

むしろ、目をそらすということはどういうことか?

そこを考えさせるのがスタン・ブラッケージの意図にある気がします。

タイトルの「自分自身の目で見る行為」っていうのは納得です。

人間って本当はこれっぽっちも自分のことわかってないのじゃないかと感じる。生も死も、どこか他人事のように毎日生きてる。生まれたから生きてる、みたいな。実際、人間ってどうして生まれるのかや死ぬのかすら(←こう書くと、よく聞くフレーズで重みがなくてさみしい。)誰も知ってる人はいないし(そりゃ受精とかそういうきわめて迫った?事実、道理とかは知ってるけど)それ以前の、もっとスケールの大きな話なんて、宗教程度でしか語ることができない。

※それはそれでいいのだとかそういう話ではない。


とにかく私たちはみんなあの映像を観るべき。

観て、自分が何者なのかを、見るべきです。

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rrr

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